沖縄県(ゴーヤ県)

沖縄の歴史が具体的になってくるのは、12世紀に源為朝の子という伝説をもつ舜しゆん天てん王が王位にのぼったあたりからです。そして信頼性が高い最初の記録は、1372年に察さつ度と王が明の洪武帝に入貢したという中国の記録です。

 

その後、いったん北山、中山、南山の三山分立時代がありましたが、1492年になり再統一され、首里を都とする王朝が明治に至るまで存続しました。この間、琉球王国は中国へ朝貢を繰り返し日本、朝鮮、東南アジアとも交流して海洋王国として全盛時代を迎えました。

 

その後、南蛮船の渡来、中国や日本の商人による海外進出の活性化などにより沖縄の東シナ海海域での優位性は失われ、1609年には薩摩による実質的な征服が行われました。

 

しかし、薩摩は琉球王国を間接支配しただけで、むしろ独立国家として琉球に中国への朝貢関係を維持させることで、貿易による莫大な利益を確保。

 

ところが、幕末から明治維新にかけて欧米列強が来航し、また中国との間における近代的な外交関係の確立が緊要となると、日清両属など許されるものでなくなり、1879年(明治12年)に最後の王尚しよう泰たいが東京へ連れ去られて、沖縄県がおかれたことで最終的な決着がつけられました。

 

尚王家に与えられた爵位は侯爵で20万石以上の大名と同じですが、日韓併合の際に李王家は皇族扱いされたから、同じ王様にしては軽く見られたわけです。

 

その後、太平洋戦争では、国内唯一の地上戦の場となり、戦後も米軍統治下におかれ、昭和47年にいたり、ようやく本土に復帰したのはよく知られているとおりです。

 

琉球王朝について、沖縄の歴史家高良倉吉氏は「日本文化の一環に属する文化をもち、日本語と同系統の原語を話す人々が沖縄の島々に住みついて独自の歴史を営んだのであり、ついには日本と別個に独自の国家琉球王国≠つくりあげた」と位置づけていますが、このように琉球は「日本人がつくったもうひとつの国」なのです。

 

その沖縄が国内でただ一つの地上戦の舞台にされて日本国家の盾にされたのは、県民にとって何とも割り切れないものなのです。米軍基地についても経済を潤していることは否定しがたいところですが、たとえその効用を認めたとしても、悲惨な経験を持つこの島の人たちにとって有り難くない存在であることを忘れてはなりません。

 

しかし、アメリカや米軍が沖縄で嫌われているわけではありません。それよりも旧日本軍とか自衛隊に対する風当たりがよほど強いのは、沖縄戦の厳しい後遺症なのではないでしょうか。

 

沖縄という呼び方は、もともとは本島のみを指すニュアンスもありますが、県の名前としては中国との特殊な関係を臭わす琉球を避けるため採用されました。

 

逆に、沖縄の団体などが台湾あたりへ行くと琉球と呼ぶことにこだわられるということもあります。中国人の一部に沖縄への領土的な関心を完全には棄てていない人がいることも事実であることは知っておいて良いことす。

 

琉球王国の首都は、那覇の東方の丘の上にあり、現在は市内に併合されている首里でした。最初はある王族の邸宅を県庁として接収しようとしましたが地元の反発が予想されたことから、首里の外港だった那覇に県庁を置きました。

 

最近では、県庁を本島中部に移転させようという意見もありましたが、黒川紀章氏の設計による新しい庁舎をこれまでの県庁の場所に建設したことによって議論に終止符が打たれました。

 

経済は観光、基地、公共事業の3つが支えです。観光の最大の目玉は美しい珊瑚礁で海水浴場をもつ豪華なリゾートホテルも多くあり、スキューバダイビングのメッカでもあります。

 

琉球王朝の王宮だった首里城は戦争で破壊され、守礼門のみが再建されただけでしたが、近年、主殿などが見事に復元されました。国の手になるだけに、良くも悪くも採算度外視の丁寧な仕事ぶりが見事です。

 

南部戦跡めぐりには、慰霊のために訪れる人たちに代わって平和の意味を考えさせるということで本土からの修学旅行生も多くなっています。沖縄では本土と気候が違うだけにそれに合わせた建築をめざした試みがされていますが、名護市役所庁舎は風の流れを利用して冷房不要の建物を実現しました。

 

離島はいずれも素晴らしい島ですが、とくに八重山諸島はエキゾティックな魅力にあふれており、石垣島の川か平びら湾の美しい海の色、赤瓦の屋根の民家が美しい竹富島、西いり表おもて島のマングローブなど見どころが多くあります。

 

宮古島の人々は情熱的で激しく団結心が強いと言われています。参加者が一人ずつ口上を述べながら乾杯を繰り返す「お通り」といわれる風習などは有名です。

 

マラソン、自転車、遠泳を組み合わせたトライアスロンはここから盛んになりましたし、かつて難破したドイツ艦船の乗組員を助けたことにちなむ上野村のドイツ村などユニークなプロジェクトも多くあります。

 

沖縄は伝統工芸の宝庫で、壺屋焼や琉球漆器も独特の味がありますが、繊維製品に優れたものが多く、華やかな絵柄の紅型(染め物)や、重厚な宮古上布などは第一級の民芸品です。

 

芸能では、舞踊が盛んで、ここのところ、安室奈美恵に代表される芸能人がたくさん出ているのもこれが地下水脈になっているのでしょうか。

 

農業の中心は米でなくサトウキビですが、黒砂糖を使った菓子などに独特の味わいがあります。料理は中華料理の変形で豚を多く使いますが、昆布を多用して薄味なのが特徴。腸を千切りにして澄まし汁にした中身汁など沖縄らしい料理です。また、本土で鶏をつぶすのと同じ感覚でヤギを自分たちで捌いて刺身や汁にします。

 

本土の人には、単純に暑いところというイメージがありますが、夏の日中はそんなに暑いわけではありません。そのかわり湿度が高くて夜も温度が下がりません。春は雨が多く降りますが秋はさわやかです。冬も風は強いのですが暖房が必要なほどの気温には滅多になりません。

 

こうした気候とあくせくしない風土、それに薄味でバランスのとれた健康的な郷土料理(琉球料理のことを地元ではこう呼ぶ)のお陰で平均寿命は全国でもトップクラスです。

 

沖縄県民の県民性は、物事を突きつめて考えずに適当なところで折り合いを付ける傾向が強く、仲間内で助け合うというかかばい合うところがあります。このため、ストレスがたまらず居心地が良いのですが、ややルーズで厳しさには欠けるのも事実です。